■
自転車で散髪に行ってきた。(0.5ミリのツルッツル。)
・・・で、散髪は実家近くの床屋なので、自転車という事や、
車では行きにくい場所もある事から、久しぶりに近辺の散策を
決め込む。実家近辺を自転車・・・というのも、学生の頃は
それが当たり前だった。その辺の話を今日のゲームな出来事と
からめて、今回のレトロゲームな日々をお送りする。
最終的に少々長くなってしまい、また稚拙な文章である事から
読みにくい(わかりにくい)表現があるかもしれない事を先に
お伝えしておきます。
■
ゲームセンターのデビューは高校1年。それまでは親が買い物を
している時に、近くのボーリング場のゲームコーナーに行ったり、
時々だが、駄菓子屋のゲームコーナーに行ったりしていた。
それまで生粋のコンシューマー。だが、アーケードゲームへの
あこがれはとても強かった事から、移植モノをよく遊んでいた。
■
自分が高校1年の頃と言えば・・・
時期的に『格闘ゲームブーム』で、更には『ポリゴン』だの
『テクスチャ』だの、遊びに行くゲームセンターのほとんどは
格闘ゲームばかり。連れて行ってもらった友達は格闘ゲームが
上手い事から、自分は(きっと勝てないだろう…。)と思い、
好きだったシューティングゲームを中心にやり込む事を決める。
この気持ちがあったからこそ、今のシューティング好きな自分が
いるんだなぁ・・・と、振り返ってみたりした。
しかし、肝心のシューティングゲームはいずこへ。
ようやく見つけたのが、ネオジオ筐体(4つゲームの入っている)
『ソニックウイングス2』。周りに人などおらず、1人ポツンと
プレイをする。そんなシューティングな時代が自分のデビューだ。
■
こんなモノか…と思いながら、1人で行っても安全なジャスコの
中のゲームコーナーへと足を運ぶ。・・・ココで出会ったのが運命か、
アーケードで初めてやり込む事になったゲーム『極上パロディウス』が
そこにあった。
『パロディウスはつまらない』と、自分の中で思っていた。
その原因はファミコン版の『パロディウスだ!』で、このゲームより先に
発売をしたファミコン版『沙羅曼蛇』や『グラディウスII』が個人的に
良かった事から、『パロディウスだ!』も面白いのだろうと期待をして
いたのだ。今では(これもアリ!いや、十分楽しいヨ!)と、思えるが、
当時の自分にしてみれば、ガッカリした部分が大半であった。
シューティングが『極上パロディウス』しかなかった事から、やむなく
プレイをしてみると本当に面白く、考えを改めるキッカケにもなった。
また独自に攻略をしたり、友達に聞きながらゲームを進めて行く事が
とても楽しく、毎日ジャスコに通うのが本当に楽しかった。
・・・そして、友達と話しているうちに出会ってしまった『ゲーメスト』
その時は4面まで進めており、友達より高いスコア(40万点くらい)を
出して天狗になっていた。しかし、ハイスコアを見てみれば400万台。
「どうしてこんなに高いスコアが出るんだ?!」と、ハイスコア欄を見て
驚愕したのも、今となっては良い思い出だ。
■
ゲーメストの誌面内で取り扱っていた事もあってか、極上パロディウスの
ムックを購入し、そして親にお願いをして攻略ビデオを買ってもらった。
映像とムックの記事と照らし合わせながら、研究をするのが日常だった。
ほぼスポーツ推薦のようなカタチで入学した事もあってか、部活は辞めるに
辞められず、遅くまでの練習や土日祝日は練習試合は正直キツかった。
(ゲームができない的な意味で。)それでも、体育館が使えず早く帰れる日に
ゲームセンターへ行く事や、「終われば遊べる!」・・・という無駄なパワー。
部室や練習試合の合間にゲーメストやムックを読んだりしたのも思い出だ。
勉強?!(テスト期間は部活がないので、ゲームセンターに行けるぜ!)
拝み倒してプレイステーションと『極上パロディウスだ!』も買ってもらう。
自宅での練習が可能となり、いざゲームセンターにて勝負!・・・お約束の展開
とも言うべきか、ジャスコのゲームは既に『ツインビーヤッホー!』に変わり、
エンディングに1コインで辿り着いたのは、ゲームセンターへの耐性ができた
事から、地元駅周辺のゲームセンターにて達成する事ができた。
■
駅周辺には3つゲームセンターがあり、『ファンタジア』は1プレイ50円。
『デイトナ』『サム』は100円でメダル3枚。1プレイはメダル1枚と、
財布に優しいゲームセンターだった。・・・この『デイトナ』は現在も現役。
結構すごいゲームセンターとなっていて驚きだった。当時シューティングなんて
見向きもしていなかったのに・・・と、思うと複雑。(この辺の話はまた後で。)
そんなゲームセンターも、当時の主流はやはり格闘ゲーム、シューティングは
そこそこ・・・。それでも新作が必ず遊べるのは、本当にありがたかったと思う。
そして次にやり込んだのは、『STRIKERS 1945』。ソニックウイングスに似ている
という事や、何人もの友達が「難しい!」「弾速いし、避けられない!」と言って
いたので(格闘ゲームよりスゴイって事をクリアして、皆に見せてやる!)と、
割と厨二っぽい事が、やり込み(1周クリア)へのキッカケだったりする。
■
主に『デイトナ』でプレイをしていたが、バーチャファイターの後にゲームが
入った為か、ボタンの配置が微妙で『ガードボタンがショット』『キックが
ボム』とか、普通に遊べなかったのも辛い。店員にお願いをする勇気もなく、
(シューティングは不遇だなぁ・・・)と思いながら、それでもゲーメストの
記事を頼りながら、何とか1周クリアできたのもイイ思い出だ。
『レイストーム』『Gダライアス』『タイムクライシス』『沙羅曼蛇2(1周)』
『蒼穹紅蓮隊(ラスト)』『バトルガレッガ(挫折)』『ダライアス外伝』
『ツインビーヤッホー(ときめきレーザーまで)』『怒首領蜂(1周)』
『ガンバレット(上級・激ムズ)』『レイディアントシルバーガン(途中』
『THE HOUSE OF THE DEAD』『STRIKERS 1945 II(1周)』等々。
ガンシューティングも含めて、クリアや途中までお世話になったゲームと、
その思い出が、主に通っていた3つのゲームセンターにあった。
■
そして、今!
・・・そんな事を思い出しながら、自転車で進む。
『ファンタジア』は『アドアーズ』になり、プリクラ・メダルゲーム中心に。
『サム』はパチンコ屋。ちょっと遊びに行っていた、イトーヨーカドーの
屋上プレイランドは、プレイランド(屋上含む)ごと消滅していた。
(ジャスコのゲームコーナーは移転して、現在はユニクロになっている。
移転後は普通のアミューズメントコーナーだが、ビデオゲームはない。)
寂しい気持ちを紛らわすかのように『デイトナ』へ。
筐体の数は少なくなったものの、格闘ゲームの対戦台が並び、音楽ゲームや
大型筐体のゲームも少々ある。シューティングは少なかったが、他のゲームも
含めて、プレイが録画できる環境にあった。
■
レトロゲームがたくさん入っている筐体で『ソニックウイングス3』をプレイ
するものの、急に当たり判定がなくなるバグがあったり、2回目はゲームが
ちゃんと選択できなかったりで、モヤモヤした気分になる。
当時と変わらず100円でメダルは3枚、そのうち2枚を微妙な感じで
使ってしまった事から(あと1枚はどうしよう…)と、思いながら店内を
ウロつく。・・・そして、見つける。当時と変わらぬ場所で鎮座している
『ガンバレット』を。
最後のメダルをその筐体に収める。(賽銭気分だなぁ・・・)と思いながら
無難に「初級」を選択。『打て!』『破壊しろ!』『自分の色だけ狙え!』
高校の友達と笑いながらプレイした事や、サントラCDを聴きまくった事、
自分だったらこんな内容のミニゲームを・・・とか考えた事、どうやったら
高いスコアがでるのか考えた事、激ムズに失敗して悔しがった事。
1つ1つゲームを選択する度に思い出される当時の思い出が、懐かしくも
悲しい。
『オヤジを守れ!』
(ヒゲはないけど、そっくりになったなぁ・・・)当時は笑って見ていた
オヤジも、今では自分がオヤジな年齢なので、こんなにも親近感が沸くとは、
当時からしてみれば、想像もしなかっただろう。
たまたまか、ゲームの引きも良かったせいか、途中のボーナスステージで
ライフ回復がなかった割には、激ムズ2つクリアをして、合計1ミスにて
通しクリア達成。初級とはいえ、十年以上遊んでいなかったゲームをこの
年齢でクリアできるのは、正直嬉しかった。
■
『デイトナ』を後にする。
レトロゲームの保存であるとか、環境を維持していく事とか、経済的な事や
需要。それらが全て困難な状況である等。直接自分ができる事はない。
せいぜい家庭用で発売しているゲームを購入して遊ぶ事や、今でも頑張って
いるゲームセンターに遊びに行く事ぐらいしかできないだろう。
それが現実。
でも、今ある環境の中で、『自分が楽しいと思った、体験した、続けたい!』
そう思うゲームやレトロゲームを、最大限楽しむようにしていきたい。
■
そんな中、嬉しいニュースが飛び込んできた。
バーチャルコンソールに『パルスター』の配信が決定!!
本当に嬉しいので、次回は『パルスター』特集の予定だ!!
やったー!!
現実は厳しい・・・。